まんぼうのホームページにデビュー しました和田美穂子です。68歳。平成3年、NTT退職後、船旅サークルを作りました。
40年程前より、大小の船に乗り楽しんでいて船見学会・体験クルーズ・カルチャー教室で「クルーズ入門」講師をやり、多くの船好き仲間を作りました。
クルーズは体験会以外は、いつも一人旅です。リュック一個でワールド5回、ロング(30日〜40日)3回、その他たくさんどこでも行きます。情報はクルーズ雑誌・代理店の折込み・旅行博、旅フェアーでの有名ラインのブースで名刺交換のあと、乗りたい船・治安・乗下船のアクセス・前後泊指定ホテル・送迎サービス等を細かく聞いて資料を集めます。
同じくAIRライン・ホテル・観光地も調べます。昨年の旅行博でコスタラインのブースでおしゃべりしていると、向かいのロイヤルカリビアン社のブースより『和田さーん』と声が掛かりました。なつかしい顔が見えました。昔、「おりえんと びいなす」で働いていた営業マンでした。『ブッキングの名前を見ましたよ』と。春に日本寄港が決ったロイヤルカリビアンのラプソディに予約していたので、又、そこでおしゃべりをして資料をもらって来ました。一昨年よりアジアの好景気をねらい、有名ラインが中国・香港・韓国・インドに来るの来ないのと気をもませていたが、やっとコスタが中国人を満員に乗せ長崎に来た。コスタは怖かったのでしょう。
やっと始めた中国人クルーズ。やってみたら満船につぐ満船、上海発を申込みしていたが、急に天津発長崎寄港に5室空きが有ると知らせが有り、キャンセル料を払い長崎発〜天津〜長崎に乗りました。一番ビックリしたのは他のアジア船とはちがい、若いカップルの多さ、 乗船客の多さでした。新宿駅のようです。
文化の違いエチケットの違いにも驚きました。船側はイタリア色を全て消し、船内の飾り表示・旅行案内・放送・新聞・レセプション等は中国風です。その時は日本人団体グループと私一人に日本人コーディネーターが付いたので、不自由はなく楽しい旅でした。食事は中華フルコース・イタリアフルコースが3食あり、上にはバイキングレストランが有り同じくおいしかったです。
ウェイターやキャビンスチュワードは人馴れして英語が通じるが、フロントの人は全く通じずとても困りました。そのうち私もなじみ若いクルーやもと飛鳥のウェイターだった二人やオフィサーと仲良くなると、アジア人特有の人なつこさで別れがつらくなり帰国するとすぐ次の予約をしました。
コスタアレグラ、香港発〜三亜〜ハロン湾〜香港・4泊5日を2往復です。これをリポートしましょう。
「安く楽しいコスタ アレグラ」
アジアにやっと来てくれたコスタライン。
料理が口に合い・はじけるような若さ・同じアジア人の若い乗組・気取りのない航海士・長崎クルーズですっかり仲良くなった乗組やオフィサーに又会えて嬉しい。今回は一人なので日本人コーディネーターは居ない。おわびにフルーツがキャビンに届いていた。こちらで『長崎で会ったネ』、『前に会ったネ』と声が掛かる。天気は悪く、とても寒く日本と同じでいまにも雪が降りそうだ。
香港でYMCAに前泊したが暖房が無く、風邪を引き・のど痛く・熱っぽい。香港を出るとゆれ出し4日間揺れっぱなし。15年ぶりにムカムカした、「あーこれが船酔いか」と少し懐かしかった。三亜もハロン湾も下船せず、夜のショーやイベントにも出ずほとんどキャビンで4日間過ごした。
5日目に香港に戻った日から晴天になり暖かくなった。上陸して帰りのバス乗り場を下見したり、日本のラーメン屋に寄ったり、港の風景を見物した。
船に戻ると乗船のイミグレーションに止められた。パスポートのコピーが必要と言う。持って出なかった私は『コピーはキャビンにある。パスポートは預けてある』と言っても信じてもらえず困っていると、 若い船の乗組が『少し日本語、わかります』と通訳してくれました。このおかっぱの娘さんは乗船時イミグレーションに居て『私はセコンドクルーズです。よろしくね』と挨拶した人です。
お蔭様で無事 再乗船が出来た。この航路は香港・中国・ベトナム・香港なので入国手続きが各国違う。上陸はパスポート・乗船カード・保健アンケート又はパスポートコピーだけ必要とか、イミグレは船内に乗り込んだ仕官にパスポートを見せるだけだったり、上陸して別の建物でイミグレーションを受けるなど、毎夕の船内新聞に載る。私だけセコンドクルーズで私も聞くのを忘れたため、パスポートコピーを持たず下船し失敗した。
2航海目も日本人は私だけ、白人5〜6人、あとは中国人。すっかり晴れ波も穏やかに、カゼも治り いつもの元気印になり甲板歩き・日光浴・マッサージ・イベントに参加と楽しみました。
長崎クルーズの時は乗船客は様変わりした。人数をおさえたのか混雑は無く、エチケットも良くエレベーターも降りてから乗る。それまでは行列したり、我先に走る人、ドリル(避難訓練)では階段で押し合いとなり、狭い所でだんごとなり、私は会場に行き座るとドキドキ、ゼイゼイと、これは火事の本番ではないかと思いました。
初心者、全くクルーズを知らない人、白人特に人に慣れていない上層の船会社の人には中国人や他のアジア人の文化・習慣・エチケット・日常の行動等は分からないでしょう。ライジャケで身動きも出来ず、だんご状態になっていても、だれも乗組が来なかったのが後で気づき、ため息が出た。
私が「クルーズ入門」を講演したいと思った2航海目は天気に恵まれ、三亜では有料シャトルに乗ったまま往復した。昔、「おせあにっく ぐれいす」で寄港した時は、おこもさんばかりで先乗りの船会社の人が小銭をまき、おこもさんが「おせあにっく」に行かないようにしていた。三亜はミニドバイのようで、これからリゾートに作る所です。バス停は中華街の大門の前で、どこを見ても新しい店・新しいビル、とてもきれいな所でした。若いクルーがタクシーでぎゅうぎゅう詰になり、数十台でどこかへ行くのを後で聞くと、安いシーフード料理を食べに行くとのこと。それにしても乗客がシャトルに乗れず、あきれ顔で待っていた。
クルーがバスを乗っ取ってはダメね。船内生活はとても楽しかった。全船に顔が知られた私はどこでもおしゃべりをした。
プールバーではアイスクリームの大盛りをプレゼントされたり、ホテルディレクターにコスタラインのピンバッジをいただき、クルーズ雑誌に投稿したことなど話し、東京で又、会いたいとお話はつきない。ボースンは私がワールドクルーズ中にコスタロマンチカに会った話をした。夕日で金色に輝いているロマンチカ、その船尾のデザインのすばらしさ。 私は船尾を指さし自分のお尻をたたき、スターンという英語が出ないがボースンには通じ、『そうだ! そうだ! 』と大きな笑い声。そしてロマンチカの姉妹2船に、もうじき会えると教えてくれました。
『2船がアジアに配船となる。又、乗りなさい』と言ってくれる。レストランでは日本で働いた人が多く、 片言の日本語を話す。私の担当はもと飛鳥のウェイターで日本語は上手い。とても細やかなサービスをしてくれる。ヘッドウェイターも1日3回、良く私の世話をしてくれる。『どこから来たの?』と尋ねるとインドネシアと言う。私はマレーシアと間違え 『ペナン島やバリ島には数えられないほど行った と。♪ラササイヤン エー ラササイヤン エー♪』と唄うと大合唱になった。
35年前にペナン島に行ったら、ラササイヤンホテル一軒だけで漁村だったと聞くと大笑いになった。インドネシアにも寄港しているが思い出せなかった。マレーシアでシュノーケリングしたら、ナポレオンやダツや大きな魚が沈船で見られたと私が話すと、すかさず『マダムが大きいのか?魚が大きいのか?』とチャチャが入る。私はゲンコで応戦。ウェイターが「ブンガワン ソロ」を唄い出し、私も大声で続き大合唱となり 大騒ぎ。たった3回の乗船だったが、キャビンの居心地の良さ・食事の美味しさ・乗組のフレンドリーさ・すっかり自分の船になったコスタアレグラ。どこでもいつでも、笑顔で声をかけてくれる乗組やオフィサー、心から乗船客に接してくれる船、イタリアの心。
現在は中国人の船ですがぜひぜひ、日本人でチャーターするか日本発着、アジアのどこでも乗下船が出来るようにして欲しい。安く、おいしく 楽しいコスタアレグラ。
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