ブリリアンス・オブ・ザ・シーズ(Brilliance of the Seas)による
スエズ運河・紅海クルーズ紀行記(17日間:2010.1.3〜19)
文章:仲佐博裕様
写真:松本弘様
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船体全景
一昨年5月の連休明けに、今回と同じRCI(ロイヤル・カリビアン・インターナショナル)社所属の客船ラプソディ・オブ・ザ・シーズで神戸からシアトルまでの北太平洋横断アラスカクルーズに味を〆めて、その際に相部屋した写真家のM氏と再び同行し、寄港地の少ない長距離クルーズとして、9万トンの客船ブリリアンス・オブ・ザ・シーズによる地中海・スエズ運河・紅海・インド洋を航行しアラブ諸都市に寄港するクルーズを楽しむことになった。
このクルーズは、その後アラブ諸国を巡るドバイ発着の1週間定期クルーズを行うために、スペインのバルセロナからUAE(アラブ首長国連邦)のドバイまでの14泊15日の回航クルーズであり、スエズ運河南行と海賊出没のアデン湾通過という珍しい航路経験が味わえるものであった。以下は、そのクルーズ紀行記である。
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シンガポール空港
第1日(1月3日) 成田 →シンガポール
箱根駅伝復路のTV放映を観ながら11時半シンガポール航空で成田発、約7時間のフライト後、現地時間18時過ぎに目覚ましい発展をしているシンガポール着。
ここのチャンギ空港は暫く来ない間に3つのターミナルがモノレールで結ばれる大ハブ空港に改造され、見違えるほど立派な空港施設とモールやバタフライ庭園などがあり、真夜中の出発まで6時間もの待ち時間も全く苦にならずに過ごせた。
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第2日(1月4日) バルセロナ乗船・出航
乗船地のバルセロナまでは、シンガポールから15時間の深夜フライトで早朝7時ミラノ着、そこで欧州勢の乗客を降ろしてから1時間後に同じ機体で再出発、8時半にようやく目的地バルセロナプラド空港に到着(日本時間15時半)。
成田出発から28時間の長旅ではあったが、太陽を追いかけての西行飛行なのでそれ程の疲労はない。空港で待機していた船会社手配のトランスファーバスに乗車、オリンピックスタジアムがあるモンジュイックの丘を左手に観る車窓からの市内見物の中に、空港からすぐ近くのポートに到着、簡単に乗船手続きも済んで午前中に乗船できた。
しかしキャビンはまだ清掃中で入室できず、昼食を摂ったり船内見物をしたりする内にだんだんと長旅の疲れも出て、曇り空にそびえ立つサグラダファミリア教会の塔を遠く船上から眺めるだけでバルセロナ市内観光に行く気も失せ、入室可能になったキャビンで荷物を解き、その後は恒例の避難訓練と18時の出航、最初のディナーとウェルカムショーを楽しんだ後、募る疲労困憊の内におとなしく就寝した。
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キャプテンパーティ
第3〜5日(1月5〜7日) 地中海洋上
3日間の洋上生活を楽しみながら、のんびりと過ごし、長旅疲れも取れた。この船ブリリアンス・オブ・ザ・シーズのバルセロナからドバイまでの14泊15日のスエズ運河通航クルーズは乗客約2千人、その大半は英人(50%)と米人(30%)で、その他カナダ、豪州、ドイツなどからも多数、また日本からも全34名、その大半は2組の高価なグループツアーに属するお金持ちの方々である。
英国客が多いことから、カジュアルムードの中にも英国風の中々上品な雰囲気の客船である。このところ名船と呼ばれるクィーンヴィクトリアやセレブリティコンステレーションに乗る機会があったが、名ばかりで権威失墜の後味悪い(人種面・安全面・運航面)乗船経験をした。
しかしそれらとはまるで違った心地良いムードの快適なクルーズライフが期待できた。当船での地中海上の洋上生活としては、気さくな船長主催のウェルカム乗船歓迎会、寄港地紹介講義、社交ダンス教室、水泳・ジャグジー、ビリヤード、ベビーゴルフやロッククライミング見物、プロダクション/ヘッドライナーショー、NHK短波放送受信、パソコンワーク、等など楽しい船上時間を忙しくものんびりと過ごした。
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アレキサンドリア風景
第6日(1月8日) アレキサンドリア(エジプト)寄港
濃霧の中を朝7時にエジプト・アレキサンドリア入港。ここからカイロの方へのピラミッド見物のバスが多数早朝から待機していたが、濃霧でゲート封鎖ということで乗客全員下船できず、ゆっくり寝坊してのんびりと市街の街歩きをしようとしていた当方の勝ちとなった。
ようやく9時過ぎに下船開始となり、片道3時間のバスの旅の連中が慌ただしく出かけた後、10時過ぎにゆっくりと下船し、以前当地へ寄港した際に見逃したカーイトゥベーイの要塞を徒歩見物しようとポートゲートを後にしてM氏と二人して歩き出した。しかし以前の観光馬車上から見た街並みの記憶以上に余りにも汚く不潔で騒がしく身の危険すら感じられる地区に入り込んでしまい、幸か不幸か背後から付けてきていた観光馬車に一人1時間5米ドルの契約で乗り込んでしまった。
当地の馬車は、市街電車やバスや車以上に走行が優先されていて、「そこのけそこのけお馬が通る」と混雑した処でも堂々と動けて大層興味深いのであるが、通常は時間オーバーして下車時に倍額以上もの料金を支払う羽目になる。
前回の同様なトラブル経験を今回も実際に味わったが、それでも要塞や図書館、市場など通り一遍の馬車観光は楽しめた。
ポートゲート内に戻り、船の脇に並んだ超格安のポートショップで衣類や文具などのエジプト土産をしこたま買い込んで帰船した。しかし、アレキサンドリアでの予期せぬ出来事は、その夜から始まった。又また濃霧である。
カイロまでのバス旅行組も所々濃霧に襲われ帰船が大幅に遅れ、ふらふらのていで疲れ果て戻ってきた。
この濃霧による陸上のゲート封鎖は港湾封鎖でもあり、22時の出港予定が出港できないまま夜通し停泊することになった。
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沈没船
第7日(1月9日) アレキサンドリア出港→ポートサイド集合
朝もまだ濃霧、港湾封鎖で出港できないまま。
しかし見降ろす港の風景は、前日とは大違いでポートショップはなく、バスもいない閑散としたもの。
今晩通航するスエズ運河は、1日南行2回北行1回船団を組んで進むことになっている。
当船は、今晩深夜出発の南行船団に入る予定であるが、運河入口のポートサイドでの船団集合時間は出発の8時間前、それに遅刻すると莫大な罰金が課せられるとの由である。
しかしポートサイドでの集合時間に間に合うためのアレキサンドリアの出港時間が過ぎてしまい、しかも霧は既に消えて快晴になっているにもかかわらず、港湾封鎖は解除されない。
巷の噂では、遅刻料を稼ぐためのエジプト当局の企みとのこと。ようやく正午を過ぎてから出港することができたが、集合時間までには間に合う状況ではなく、実際は出発時間にやっと間に合うことになった。
出港時間が前日の夜ではなく、しかも真っ昼間の出港になったことが乗船客にとって幸いしたのは、アレキサンドリア港内に散在している多数の沈没船の残骸、これは中東戦争での港湾襲撃の遺品とのこと、通常の早朝と夜間の出入港では見られぬ圧巻の見物であった。
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貨物船団
第8日(1月10日) スエズ運河南行
スエズ運河の通航時間は深夜0時から15時の予定、真夜中過ぎ濃霧の中を数珠連なりの船団が超ノロノロ運航で動き始めた。
デッキに出てみると視界は20m程度、夜中の運河見物は諦めて就寝した。朝寝坊して起きると霧は消えて快晴、大きなティムサ湖の中に南行船団が停止していて北行船団とのすれ違いを待っている。11時頃、スエズ運河通過記念のTシャツが売り出されているのを購入して、ブランチを摂っている内に船団が徐航し始めた。
運河通過予定時間の15時近く、大幅に遅れて北行船団とすれ違う。16時頃から両岸との幅が狭くなり、いよいよスエズ運河の素晴らしい景観が始まる。進行方向右側のエジプト本土側は斑模様ながらも緑の木立と住居が点在しているのに対して、左側のシナイ半島側は赤茶色の広大な砂漠が延々と広がり、たまに道路があると、その先には兵舎があって大勢の兵士達が立ったり伏せたりの軍事訓練をしている。
そのような対照的な壮大な景観の中を約1時間半、地中海と紅海を結ぶスエズ運河のダイナミックなパノラマ風景を船客の大半が甲板上からも展望室からも飽きることなく楽しんでいる間に、南の玄関口のポートスエズの大都市を右に見て紅海に抜けた。
世界2大運河の一方のパナマ運河が、連結する太平洋と大西洋の水位が異なるため何段階もの水門を設けて緑の熱帯林の中を通航する閘門(ロック)式運河であるのに対して、このスエズ運河は全長171km、最も狭い河幅が約60m、の砂漠を貫く世界最大の水平運河。
今回それぞれの運河の全く異なる興味深い通航経験を得ることができた。なお、このスエズ通過の夜に、ビュッフェレストランのお寿司テーブルで、通常の海老・鮭・豆腐等の海苔巻の外に、特別に鮪の刺身をご馳走して貰うサービスを受けた。
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アラブの女性
第9日(1月11日) アカバ(ヨルダン)寄港
シナイ半島の南端を左に回るとアカバ湾、その北端にあるのがヨルダン王国南端の港湾都市アカバである。
ここからのエクスカーションには、隣国イスラエルとの境界にある死海、インディジョーンズの映画で名高いペトラ遺跡、アラビヤのロレンスの映画に出てくる赤い砂漠のワディラム、などがあり、どれに参加しようか迷っていたが、やはり砂漠の中を長距離バスで揺られ、しかも早朝出発ということで諦めて、ここでも寄港地アカバ市街の散策だけにすることにした。
アカバはヨルダン唯一の港町であると共に同国随一のリゾート観光地でもあり、ポートのすぐ側に大きな国旗がはためく海浜公園と多数のグラスボート、そこに隣接するアカバ要塞の旧跡があり、静かで開放的な雰囲気が感じられた。市街中央のショッピング街の端には噴水のある綺麗な公園もある。
砂漠の中で何処から水を持ってくるのか、と聞いてみたら公園の真下に貯水槽があるとのこと、黒いベールを被ったイスラム女性が多数散策しており、平和で落ち着いた豊かさも感じられ、良い街歩きをすることができた。
ただ噴水公園で喉が乾いたので、街中の店で買ってきた缶ビールを飲もうとしたらノンアルコールビールであったのは、やはり回教徒の国であったと思い知らされた。
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サファガの港
第10日(1月12日) サファガ(エジプト)寄港
前夜アカバ出港後、夜の内にアカバ湾をまっすぐ南下して紅海に戻り、朝7時にエジプトのサファガに寄港した。
ここは最後の寄港地であり、ナイル河王家の谷があるルクソール観光の玄関口であるが、やはり早朝出発の長距離バスの旅となるので、これまで通りルクソール行きは断念して、高級リゾートとして発展中であるとのこのリン鉱石産出港のサファガの街歩きを楽しむことにした。
街までは無料のシャトルバスが頻繁に出発しているので、これを利用したが、人も何もない閑散とした街を通過してしまい終点はホリディインホテル。
多くの船客と同じく、ホテル横の免税ショッピングアーケードをぶらついて、そのまま次のシャトルバスで早々に帰船した。ただ、ホテル内の有料のビーチに入った船客の話では、綺麗な素晴らしいビーチで遊べたと感激していた。
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3人メダルスナップ
第11〜12日(1月13〜14日) 紅海洋上
この2日間をかけて、アフリカ大陸とアラビア半島との間にある南北に細長い紅海を縦断する。紅海は、長さ2300km、最大幅355km、最深2740mのインド洋付属海である。
紅海の名は、海中の藍藻類の発生によって海面がしばしば赤みを帯びることに由来するという。紅海上の初日は、昼間は寄港続きで溜まりに溜まったデジカメ写真のパソコン整理や、社交ダンスレッスン、プール・ジャグジーと相変わらずの洋上生活を過ごすが、この日は、楽屋見物ツアーやデッキランチなども楽しむ。
また久しぶりのフォーマル日であり、ディナー後にレストランスタッフ達の大コーラス、その外のダンスフロアではアラビアン衣装のカップルが踊っているのが人目を惹いた。
紅海上2日目は、いよいよ翌日のアデン湾ソマリア沖の海賊襲来域に入るということで、まず午前中に海賊避難訓練が行われた。これは屋外及び屋内の窓側のエリアにいる全員を海から見えない内側エリアに退避させて、15分間位監視員付きで待機させるものであったが、快晴で日光浴好きの欧米人達が折角確保したプールサイド等の好きな場所から引き揚げさせられて不評であった。
海賊対策としてはまた、海面に近いデッキの全ての窓に鉄板を備え付ける作業も始まり、事の重大さにようやく緊張感も高まって行く。
キャビンのテレビでは、それまで放映されていた当船の航路や現在位置の画像は中止、またCNNなどのニュースチャンネルも全て放映されなくなり、これはアデン湾を抜けた後まで続いた。
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廊下の鉄板
第13日(1月15日) アデン湾:海賊襲撃危険海域洋上
早朝6時いよいよアデン湾に入域する。快晴ながら強風、危険域からの離脱は翌朝3時までとのことである。
この危険海域での注意事項は、当クルーズの初日に、船長からアデン湾通航の準備と海賊遭遇時の対処に関する文書が配布されていた。その概要は、「国際的海軍の艦船による強力監視と哨戒が行われる"IRTC"(Internationally Recommended Transit Corridor: 国際推奨航行回廊)を運航し、当船の位置は常に海軍当局に知らせ問題あれば瞬時に電話連絡する。もし多くの小型釣船に遭遇すれば、接近させないように一定の離間距離を保つためジグザグ運航をすることもあり、また海賊遭遇時には船客に告知し船側から離れるように指令するかも知れないが、万一の場合には落ち着いて指令に従って欲しい。船客の安全保障は最高の優先事項であり、楽しい船旅が出来るよう全力を尽くす」というもの。確かに、船客が一人でも海賊の手に渡れば重大な事態になろう。
昨年、英国の船友達がコスタの客船で実際に海賊に襲われ、危うく銃弾に撃たれるところであったとの話を思い出し緊張感も涌く。
しかし、昼間の当船の周辺は、強風で波高しの中を遠くに所々軍艦らしき船が見え、時々ヘリコプターがお見舞い程度に飛来するが、船内は至って平穏、船客は日光浴など通常通りのクルーズライフを楽しんでいる。夜になり暗くなっても船客のクルーズライフは昼間と同じ、また真夜中前後には70歳代用のディスコダンスパーティが盛大に行われている。
しかしデッキに出てみると見張りの船員が周辺監視中、警備の裏方さん達の苦労は大変であったものと思われる。
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ショーの風景
第14〜15日(1月16〜17日) インド洋洋上
アデン湾を午前3時無事に通過できて、終着のドバイまで残り2日間は、アラビア半島の南を回るインド洋の洋上航海日である。その初日の午前には、もう既に下船説明会が始まった。
スエズ運河以来、快晴続きの天候もようやく薄曇りの日になったが、相変わらず風は強い。乗船当初からキャビンのシャワー室の水捌けが悪く足元が気持ち悪かったが、同室のM氏が気にして修理を依頼していたところ、ようやく技術スタッフが来て簡単にドレン抜き完了。
もっと早く修理しておけば気持ち良くシャワーが使えたものと後悔したが、今後の良い教訓体験となった。夜のプロダクションショータイムはアルゼンチンタンゴ、また真夜中前後にはアラビアンナイトのビュッフェデッキパーティ、と船旅の残り僅かの時間を楽しむ。最後の洋上の日は、恒例の正午の時間変更で13時にしたが、もう日本との時差は5時間、出航時の "GMT+1"が"GMT+4" となる。帰国準備の荷物整理をしがてら、昨夜のアルゼンチンタンゴのペアダンサーによるタンゴレッスンへの参加など、昼間の最後のクルーズライフを楽しんだ後、インド洋に沈む夕日に感激。
最後のディナーでお世話になったスチュワードとお別れする。最後のショータイムは、見事な空中アクロバットショー、さらにその後も船長と大勢のクルーやエンターテナー達によるお別れ会で盛り上がる。
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ドバイ霧の町並み
第16〜17日(1月18〜19日) ドバイ(UAE)終着→帰国
朝7時に最終地UAE(アラブ首長国連邦)のドバイに入港。デッキからは、世界最高のタワーの Burj Dubai と高層ビル群が霞んで見える。またポートには白装束のアラブ人歓迎隊が待機している。当船はこの後ここを発着基点としてアラブ諸国を巡る定期クルーズに入る。
しかし、この港への入港は初めてなので下船手続きが大いに手間取り、ようやく10時過ぎになってパスポート返却、下船、通関と進み、空港送迎付きのドバイ市内観光バスに乗り込む。ドバイは丁度経済破綻問題のすぐ後、特に港湾地帯の開発が停止していて、建設途中の建て屋が林立している。
またポートの彼方には昔懐かしの客船女王、クィーンエリザベス2が寂しげに停泊しているのが見える。空港に着いて、22時発のシンガポール航空の出発まで、出発ゲート横の居酒屋でM氏とのお別れ会をしたが、驚くべきことにさすがドバイ、アラブの国でもここだけと店員から言われて、生の大ジョッキと焼き鳥などをたらふく平らげてから、長旅の機上の人となった。
この後、7時間のフライトで翌日の朝7時過ぎにシンガポール着、同空港9時50分発の満席のロサンゼルス行きのフライトで7時間弱、17時半ふらふらになって成田にたどり着いた。
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