ロス海
ROSS SEA |
太平洋の最南端のこの地域は。1841年にエレバスとテラーの2隻により南極を始めて探検したジェイムズ・クラーク・ロスにちなんで名づけられました。 海辺に近いほど浅瀬となり東はビクトリアランドの沿岸の山々、南部はロス棚氷に囲まれています。棚氷は表面を雪で覆われ表面平らでその広さはフランスの国土と同じくらいです。ロス海南部は年間9ヶ月航行が不能で、1月から3月の夏期に数少ない船が航海します。ロス海の海岸線は北の棚氷からビクトリアランドの先端とアデア岬まで伸びています。ロス海では天候が許す限り様々な場所での上陸にチャレンジいたします。 |
ハレット岬
CAPE HALLET
南緯72.19度
東経170.16度 |
厚い氷塊を通り抜けて、1957年から1958年の国際地球観測年の間、アメリカとニュージーランドの基地となった場所を訪れます。巨大な氷河と4000m以上の山々に囲まれた壮大な地帯で、ウエッデルアザラシやアデリーペンギンが多く生息しています。 |
イネクスプレシブル島
INEXPRESSIBLE ISLAND
南緯 74.54度
東経 163.43度 |
アデリーペンギンの繁殖地であるこの島は、スコット探検隊が雪の洞窟で冬を越さざるを得なかったという驚くべき歴史があります。二つの記念の盾は1912年9月30日に海中の中をロス海へ出発するまで隊員達が苦しんだ洞窟の様子を記しています。めったに訪れることの無い挑戦的な上陸ですが、成功すればなぜこの地域が生き地獄と呼ばれるかが理解できるでしょう。HのイニシャルでHELL(地獄を表現しています。) |
エバンズ岬
CAPE EVANS
南緯 77.38度
東経 166.24度 |
1910年から1913年までの間イギリスの南極点探検に使用され、大規模な科学的調査の本拠地の役目を果たし、ロバート・スコットの行動の拠点でした。その時の装備が状態よく保存されています。ガイドと共に小屋の中に入ることができるかもしれません。木造の小屋内外の断熱層かキルティングと海草が利用されています。オーロラ号が海へ吹き飛ばされ、シャクルトンの探検隊の10名が1915年にこの地に取り残されました。オーロラ号の2つの錨が小屋の前のビーチに取り残されています。 |
テラノヴァ湾
CAPE TERRA NOVA BAY 南緯75.80度
東経 164.24度 |
スコット隊による1901年から1904年の探検により発見されたこの地は現在夏期の調査本部としてイタリアの基地となっています。許可がおりればこの基地を訪れます。デイビッド氷河の一部としてロス海に70キロ広がる強大なドライガリスキー氷舌の中をクルーズします。 |
ロイズ岬CAPEROYS
南緯 77.32度
東経 166.12度 |
ロイズ岬にあるシャクルトンの小屋は1907年から1909年にイギリスのニムロッド南極探検の際に建てられました。アデリーペンギンの世界で最南端の保護区でその数がゆっくりと増えています。 |
ポゼッション諸島
POSSESSION ISLANDS 南緯 71.56度
東経 171.10度 |
天候と氷河の状態によって、ほとんどの人が訪れることのない岩だらけのポゼッション諸島への上陸を試みます。島のひとつフォイン島はアデリーペンギンで覆われるほどです。この島はジェイムズ・クラーク・ロスとフランシス・クロジアにより1841年に発見されました。 |
アデーレ岬
南緯71.17度
東経 170.10度 |
アデーレ岬は 1841年にジェイムス・ロスにより発見されました。私たちは英国の南極探検隊が始めて越冬したボルクグレヴィンク小屋を訪れます。100万羽のアデリーペンギンがいるといわれています。黒い火山灰の丘に囲まれています。小屋の近くにはボルクグレヴィンクの墓もあります。 |